I think, therefore I am

思ったことを徒然に綴っていきます。多分、時事ネタ、技術ネタ、自己啓発ネタなど。

セクハラ騒動から、最近の子供に対する暴言を思った。

最近、娘への暴言が増えた

最近、娘に対する叱りが少し度を越してきてしまい、反省する機会が多い。たいていは勉強をみてやるときなのだが、「何回同じミスしてるんだ」「どうして学習しないんだ」「なんで数字変えただけで同じ問題ができないんだ」とか、子供のやる気を削ぐような言葉を、つい子供にぶつけてしまい、泣かせてしまい、自己嫌悪という繰り返しが多くなった。

 

同じ勉強をみるときでも、自分が学習塾の先生の立場で赤の他人を教えるのであれば、あくまでビジネスとして、どんなに物覚えがの悪い子供でも暴言吐くことはないように思うのだが、どうにも自分の子供に対しては、リミッタが働かない。反省しきりである。これが会社で部下に対する指導だとしたら完全にアウトだ。

 

明らかに家庭内ハラスメント

先週はセクハラ問題で財務省事務次官が辞職し、一応この騒動にはけりがついた格好となった。しかしあの騒動は、当人の品性だけでなく、ネタが欲しいマスコミと取材を受ける側の官僚という、セクハラが起こりやすい構造的な問題もあるようであり、根が深そうな問題だ。

 

こうした構造的にハラスメントが生じやすいところは身近にたくさんある。一方の立場が強くて他方が弱いこという人間関係。会社でいえば、上司と部下、会社と顧客、派遣先と派遣元など。そして家庭であれば親と子、夫と妻など。

 

家庭においては、「ハラスメント」というより「虐待」とか「家庭内暴力」とかいう言葉の方が使われるが、行為の対象が身内かそうでないかの違いだけで、強い立場や力を駆使して弱者に対して身体的、肉体的苦痛を与えるという行為の意味は同じだ。

 

自分はセクハラはないと思っていたが、まさに最近の、自分の家庭での親の子供に対する注意の仕方は完全に傍からみればハラスメントそのものだ。じわじわと娘の自尊心を傷つけてしまっていて、人格形成に影響を及ぼしてしまいかねず、つまりは精神的虐待にもつながりかねない。

 

特に家庭はプライバシーという名で保護された閉鎖的な場である。家庭内の不都合な事情が、他人の目には触れにくい。子供は親の暴言に対して外に訴える術を持たない。セクハラを訴えることができない、立場の弱い女性たちと同じだ。

 

プライベートでは、ハラスメントは身近な問題

メディアでの政治家や有名人のセクハラやパワハラ騒動は、(自分も含め)多くの人にとっては他人事だ。しかしプライベートの人間関係にも目を向けると、そこでは「ハラスメント」という言葉があまり使われていないだけであって、「ハラスメント」は誰にでも身近な問題だと、今回のセクハラ騒動で、恥ずかしながら改めて気づかされた。

 

娘よ。本当にごめん。