I think, therefore I am

思ったことを徒然に綴っていきます。多分、時事ネタ、技術ネタ、自己啓発ネタなど。

救命女性に「土俵を下りて」をみて、相撲の徒弟制度について思った

相撲にかかわる人たちの常識を疑ってしまう 

 

4月4日に京都で開かれた大相撲巡業中に、救命措置をした女性に土俵からおりるよう警告があった件、海外でも波紋が広がっているようだ。

 すぐに相撲協会理事長から「不適切な対応だった」という謝罪のコメントは出されたが、こんな警告を発した自体、相撲にかかわる人たちの常識を疑ってしまう。長い慣習で女性が土俵に上がることが禁じられているとはいえ、あの場で救命措置を行う女性を排除するべきなのか、常識的な判断すらできなかったのである。最近の親方たちの騒動も、どうも一般常識と少しずれた感覚がある。

  

相撲は人格の鍛錬に相応しい制度になっているのか?

 スポーツは健全な精神を育成するというが、相撲は肉体の鍛錬はともかく、人格の鍛錬に相応しい仕組みになっているのだろうか。

 相撲力士になるためには相撲部屋に弟子入りし、その後はひたすら日々厳しい稽古に励むこととなる。力士に学歴は必要なく、最近こそ学生相撲出身も多いらしいが、今、理事長とかの要職にある大力士は中卒が大半だろう。こうした常識外れと学歴とを直ちに結びつけるつもりはないが、少なくとも長いこと閉鎖的な環境に置かれてしまうことは、健全な人格育成という観点からは逆光するのではないかと思えてくる。

 

 人間は社会的動物である。長い間一つの集団に属し、外の情報に接する機会が減ると、その集団の価値観や常識にどうしても染まってしまいがちだ。世間の一般常識や広い見識からかけ離れてしまいやすい。ましてや義務教育を終えてすぐに相撲部屋となると、ますますガラパゴス化しやすいと思う。

 最近はスポーツの低年齢化が進み、中学生でも日本トップレベル、世界レベルに到達している競技もある。だが多くのスポーツは、国内だけでなく世界が最高峰の舞台となる。当然、日本独特な変な慣習や常識は存在し得ない。相撲と同じく日本発祥の格闘技である柔道も、いまや国際競技だ。しかし相撲は依然、Sumoとはなっていない。

 

スポーツで徒弟制度は相応しいのだろうか

 スポーツではないが将棋や落語なども、相撲と似た徒弟制度的な文化があり、日本固有の技芸という点で共通である。しかし相撲や将棋は日本人にしかできないものではない(さすがに落語は外国人にはハードル高いと思うが)。相撲は、もはや横綱はほとんどが外国人力士であり、今年の初場所ではジョージア出身の栃ノ心が優勝した。

 相撲がもはや日本人だけで行われる競技ではない状況で、今の相撲部屋のような徒弟制度はふさわしいのだろうか。相撲を競技としての技能水準を高めたいのであれば、日本的な慣習を止め、もっと広く門戸を開放した方がよいと思う。世界中から身体能力の高い力士の卵があつまって、レベルは高まるだろう。ただ、そのとき日本人がトップレベルにはもはやいない気がするし、それはそれで日本文化という観点からは残念な気もする

 そう考えると、相撲は他のスポーツと比べ、日本の文化継承という側面が強いように思う。なんでもかんでも国際化がいいわけではないのかもしれない。だが、だとすればなおさら、相撲は日本固有の文化であるという自覚をもち、その財産に胡坐をかかず、相撲という日本文化を健全なものとして世界に発信してほしい