I think, therefore I am

思ったことを徒然に綴っていきます。多分、時事ネタ、技術ネタ、自己啓発ネタなど。

新幹線の台車亀裂問題に検査部門の不遇を思った

 新幹線で初めての重大インシデントとなった台車亀裂問題。川崎重工が供給する台車の部品に設計寸法よりも薄い箇所があったことが判明し、これが亀裂の原因の可能性があると報道されている。それにしてもここのところ、日本の製造業の信頼を揺るがす品質不良問題が多いように思う。

 昨年だけでも日産、神戸製鋼東レ、海外ではVWの排ガス問題などなど。個々の問題の背景や原因は様々だろうが、いずれも共通しているのは、最終製品の品質検査段階で、こうした品質不良(あるいは不正)を防ぎきれていないことだ。品質検査工程で求められる機能を果たせていない。

 

検査部門は不遇

 

 こうした品質不良の背景としては、ハード、ソフトに関わらず製品開発・製造では製品の高機能・多機能化が進む中、市場の競争が激しくなり、現場には工期短縮、コスト削減が要求され続けている。

 このような厳しい要求によって最もしわ寄せがいくのは、多くの場合はその最終工程である品質検査工程だ。製造工程に遅延が生じても、納期を遅らせるのは難しいため、検査工程でなんとか挽回できないか、ということになりやすい。


 本来、品質管理を検査部門の問題だけで考えてはならず、要求仕様策定や設計など上流フェーズから品質検査に対するコスト意識をもったうえで品質管理が遂行されなければならない。しかしこれがうまく回らないと、結局、「品質は落とさず、検査期間を短縮しろ」といった不合理な要求が検査部門にくることになる。

 こうした不合理な要求が来たときの検査部門としての対処としては、
・品質を下げる
・出荷を遅らせる
・機能を削る
などが一般的だろう。

 これらが一切許されず、企業倫理の圧力が過剰に働いてしまうと、検査データ改ざんや無資格者検査といった不正につながりやすくなる。

 特に検査工程は、設計開発や製造工程と違って、検査自体が直接付加価値を生み出すものではないため、コスト削減の対象になりやすい。またエンジニア側の感覚としても、検査部門よりも、モノづくりや技能をより実感できる設計開発や製造部門の方を好むのではないだろうか。正直いって、優秀な逸材は、なかなか検査部門には投入されにくいという実情は否めない。

 思えば検査部門は不遇なのである。

 

労働人口の減少がさらなる品質低下を招く


 しかし言うまでもなく検査技能はモノづくりの現場では欠かせない、熟練を要する技術だ。どれだけの時間でどれだけの検査をこなせるか、どれだけ難しい不良を多く抽出できるか。検査の品質が顧客へ渡る最終製品の品質に直結する。

 70年代ごろは、製造現場でのQCサークルなどが国内で広く普及していた。現場のチームワークにより品質改善を図る活動であり、日本の製造業の強さの源泉でもあった。しかし90年代以降のリストラや海外移転などで、また非正規社員の増加もあって、QCサークルの数は大幅に減り、現場力の低下につながっている。

 

 今後、少子高齢化によりますます労働人口の減少がすすむと、その影響が製造業の品質低下という形で顕在化するように感じる。日本の製造業の信頼性失墜、国際競争力低下につながりかねない。

 

 その解決策として最近は、AIを生産現場に活用するという動きはある。検査では、カメラやセンサーを使った外観検査などに画像認識の活用が進んでいる。とはいっても画像やセンサーデータといった、整形されたデータとしてAIに落とし込めるような検査項目は、検査の全体集合からみればまだまだ少数だろう。そもそもAIに学習させるのは熟練した検査員の判断による教師データだ。熟練検査員がどんどん退職してしまっては、その優れた検査スキルが継承されることなく失われてしまう。コスト削減どころではなく、熟練技術を絶やさないための積極投資が早急に必要なはずだ。

 

 検査部門の不遇な状況を改め、積極的に対策を講じない限り、今後もこうした品質不良の問題が後を絶たないのではないだろうか。